少数派の気持ち


人間の欲求とかの話になると

私は恵まれていないって言ってるみたいになるので…


まず前提として、


私は周りの人に恵まれてる
本当に感謝しています。



ある程度自分のことを話せる人が多いと思っているし、
ありのままの自分でいさせてくれる人達が周りにいるから。


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自分のことを少し深く知ってくれれば、


他人はある程度それを理解してくれて、

行動や言葉の変化とか、わたし自身の個性を真っ向から否定するというのはなくなる。


否定されるということにすこし嫌な思い出があるからそう思うのかも。


少しでも深く知ってくれる人ができたら、

もっと。もっと、理解して欲しい。
もっと。もっと私を肯定して欲しい。

求めるものは強くなってくる。




求めるのは別に悪いことじゃないと考えてるけど、


私はそれを苦しいと思う。


他人に期待している自分
そんな期待を信じることができない?
期待をすることがよくないと思う自分?
期待をしすぎな自分?

が苦しい。




私が

他人を理解したり、知ろうと思うとき、



その人がどんな人なのか、

例えば
どんな価値観を持った人なのか
どのように考える人なのか
なにが好きで嫌いなのか

などを知りたいと思う。



他人に自分を知ってもらおう、理解してもらおうとしたら


上のことは、相手に知っておいて欲しいことだと思う。


それは
時間をかけて知っていくものなのか

それとも、
自分からその扉を開くか、自分から扉に入っていくか


どちらにしても、
勇気が必要。


勇気がないというか、
本当の自分を話したところで
私は

マイノリティ側だから

理解してくれるかわからない。


私がマイノリティ側として
きちんと説明したら、


私の周りの人はいい人たちだから、
理解しようとしてくれるのはわかる。   
でも、 



『たぶん、ホントの気持ちはわからないんだろうな』

『心のどこかで、見下してるんだろうな』

と、思う。
思うというか、今までもなんとなくそう思ってきたし、実際に感じたこともあるから。


勝手に孤独感を感じる。


私の周りの大切な人たちから
共感というのは得られないんだろうな。



っていう孤独感。



どんな気持ちに似てるかというと、

例えば恋愛の話や趣味の話で


『え!めちゃめちゃわかる!本当にかっこいい・かわいいよね!』

『楽しそう!今度一緒にやろ?!』

というリアクションとか
そこから続く深い話にはならない。



このようなことを書いて、

期待を抱きすぎなのか?
求めすぎなんだろうか?

といつも考える。ほんとに毎回(笑)




ホントの自分をさらけ出す自信と
話していたとしてもそんなに深く話しているわけでもないのに
期待を持つなって言われたら
ほんとにその通りですって感じ。



でも
ほんとに自分を出すのは怖いと思う。


核心に近いところまで話すと

止まらなくなりそうで。
自分があまり好きじゃない自分を他人に見せるのが。



こんなふうに思うようになったのも、

自分をオープンにできるようになってきた副産物なのかもしれない。



案外、素敵なことかも。

It is What it is.

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