私にとってのコーチング 

今日からコーチングを受け始めた。

なぜコーチング??について
今自分が思うことを書きたい。

何でやっているのか、わからなくなったときはここに帰ってきたい。

コーチングをしてくれるコーチのみげるさんのnoteはこちら↓

なぜコーチングなのか?

「心と向き合って、それを外に出す」という機会をあえて作るため。

もともと自分が自分のことを知ることだったり、誰かと分かち合うということから逃げるクセがあるから。


外に出す=発信する
     心を言葉にする
     誰かに伝える

その先に…

1人の世界から抜け出す
自分から繋がりにいく
ような自分の姿のイメージがある。


(LDS オンライン8期Forum 全体発表にて)

「これは言うのやめておこう」



この声は人と話す時に必ず隣にいる。

なぜならそれによって相手が傷ついて、結果的に自分が傷つくのが怖いから。嫌われるのも怖い。人が離れていく。


・どうせ1人になるなら…
・悲しくて寂しくなるなら何もしない
・在るものはなくなってしまう
              という声。


この声が過去の経験と繋がるものもあるけど、つながらないものもある。

この声を聞いて、そんな思いはしたくないから、1人の世界を自分で作り出していくイメージ。自分という1つの個体に膜が張っていく感じ。

だから、
・自分は1人なんだと思い込む
・誰も信用できないような気分になる
・踏み込んだコミュニケーションをしない
・当たり障りないかんじを醸し出す
このような思い込みや行動がクセになっている。

こんなクセを持ってた私だけど、
LDSに入った理由の一つとして、


「想いを分かち合い、共に生きる喜びを感じられる」
ようなコミュニケーションがそこにはあって、
「怖いけど、めっちゃ素敵」
「自分の理想の世界がここにある」
って直感的に思ったから。


この直感が

「一人じゃない世界は怖いし、避けてはいるけど、私はこれを望んでいるよ」

という
もう一人の自分からのメッセージのような気もして、忘れられない。

LDSに入ってから、
心の深くに感じていることを共有するコミュニケーションにだいぶ抵抗は無くなったし、

自分が今「不安と恐怖」の世界にいるということも認識できるようになって、

じゃあ自分はどうしたいの?って自分の心に聞くことができるようになってきた。


でも
環境って怖いもので、そんな場所があって、仲間がいたからできていたんだなっていうことはLDSを終えてつくづく思う。

環境のせいにしてるけど、
本当に環境って大事だって感じる。
元々、潜在的に苦手で、できればしたくないことってやらないもんね…

特に私は何かあるとそこから逃避するクセがすごくて、自分でもびっくりするくらいブレーキがかかる時もある。

そのクセから逃げないためにも

あえて

心を言葉にする
誰かに伝える

という環境をつくることで、

一人の世界にいがちな自分を自分でそこから出してあげる。

不安や恐怖の世界にいる自分に
「大丈夫だよ」って声をかけてあげる。


こんなイメージ感のためにコーチングを受けている。

今の自分はこんな感じ。

It is What it is.

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