コーチング8

7/14

すんごいそわそわしたぞ。
ごちゃごちゃあたまが。

というかみげるさんに話すこと自体がまずはストレッチだった。
こんなに?ってくらいブレーキとアクセルが同時に踏まれる感覚。

せめぎ合いすぎて、心臓がバクバクする。
心臓が鳴ってるのがわかった。
でもなんでこんなになるのかはわからなかった。

今日話すことは、今出てくるものと、みんなへの感謝、記事について、ところだった。
そこまで大したことじゃないのになんでこんなにブレーキがかかるのかが正直分からなかった。なにが怖いんだろうって始まるまでずっと問いかけていた。

話したくない。
人といたくない、1人でいたい。
もう自分の中ではお決まりになってきた、
ひとりぼっちブレーキ。
でも本当は聞いて欲しい。

今まで見ないようにしてた感情や自分を拾えるようになったことで、色んなものが見えるようになった。
苦しいも楽しいも幸せも。
そんなときに色んな人の顔が浮かぶようになった。でも顔が浮かぶと寂しさを感じる。
そんな自分がとてつもなく嫌だし、めんどくさい。

自分で立てなくなるんじゃないか、
これは依存なんじゃないか、
依存なんて絶対に嫌だ、
こんなんなら前の方が良かった、
なにも見えない方がいい、
めんどくさい、


でも自分が行きたいのはそっちじゃないのはわかってる。
依存じゃなくて、繋がっていると思いたい。

人の顔が浮かぶ、ふと思い出す瞬間があるというのはきっととてつもなく幸せで、
自分が求めていた目に見えないつながりのように思う。

欲しいつながりはそこにあるのに、
そこに一線を引こうとする自分の存在を
口に出して認知することが嫌だった。

そして、それを大切な人たちに開示することも。中途半端な自分。どっちなんだよ。
この自分はいなくていい。みたくなかった。

でも今の自分はこれ。

ーーーー

次の日バイト先の元店長と話した時に、
こう感じるんですよねって話した。

爽は難しいね。わたし別にやれますって感じでしょ、やっちゃうからね。
2人とか、みんなとたつ人生もいいんじゃない?

という言葉が残ってる。

うん、そう思えたらいいよね。そう思いたい。頼ることは悪いことじゃないのはわかってる、でもそうしていてその頼れる関係が無くなるのが嫌だ。立てなくなるのが。とてつもなく怖い。

なくなる前提になってる。
なくならないし、あるとかないとかじゃないのは頭ではわかってる。
そうじゃないって思うとものすごいブレーキがかかる。

分離の痛みを感じたくない自分がいるんだなぁってかんじ。

ーーー

記事のところは、モヤモヤって感じ。
まず1番大切にしたいのは、自分がそれを本当にやりたいのかというところ。

まずこの記事は自分から出てくるものを表現することとは全く違う。
自分が感じたことではなくて、誰かが感じたことを慮って、こうゆうことなのか、こうした方が伝わるのかなとまとめる。正直大変。

違ってたら嫌だし、本当に思ってることはその人にしか分からないから、本人しかわからない。
だから私の気持ちはその人になってる。
大変。


でも時間に余裕があれば書くのは楽しい。
どんどん伝わりやすくなっていくのは楽しい。自分自身がこれを心の底からやりたいか、と言われたら正直わからない。


任されるならやりたい。
その人が私がいい、と思って任せてくれるのはとても嬉しいから。

これって他人軸なのか?
他人軸のところでごっちゃごちゃになる。

誰かの評価がないと自分の記事がいいと思えない、不安なのは他人軸で生きている自分だとおもう。

そこがすこしごっちゃになってる。

でも結局自分で出したものに自信がないから、人の評価も信じれない。

爽に任せようという話になったから……
ほんとに?私よりいい人はいると思う。

と思ってしまう。

信じれない。素直になれない。
嬉しいけど…。

自信がないから、評価がほしい。
例えば今日の、人の評価がないと心配だから欲しいというところ。どこが悪くて、どこが良いのか、それ通りにやりたい。

ここら辺シフトしたい。


ここは、自分がまず、自分の作品や自分自身にいいね!をしてあげたい。


たじさんと話すことを決めたけど、嫌すぎた。でも話した。えらい。
みげるさんにプッシュしてもらってほんとによかった。 

いろいろごまかされたと私は少し感じているけど…笑

たじさんほんとに私に任せたいと思ってるのかな?1人でやりたいんじゃないかな?
時間とってもらうもらうことが申し訳ない。
ということも伝えたことで、しれたこともあった。

お互いの自己開示も必要。

もう思ったことは伝えよう。
思い込みが大きいのは嫌だし疲れる。
伝えるのもエネルギーいるけど
きっと私は伝えたいから。伝える。

なんかすごい中途半端だけど、たじさんもいいと思ってるし、多分私に任せたいと思ってるんだなと信じて、そう思うことにした。
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7/27
ここまでが直後に書いたところ。
今これを見て感じたことを書く。

↓↓↓

だいぶ時間がたったけどまた書こうと思う。
その時、
依存が怖い。
っていうのもあってたと思う。

これもその時に出てきたところだと思う。
だから誰かに言いたくない、話したくない、関わりたくも深く介入されるのも嫌。
自由がいい。

ここで思い出すのは、パートナーのこと。

私が愛?というか心地よいと感じるのは
その2人、若しくは私含めた何人かの空間が安心すること、空間共有とか。
お互い自由でいること。

今になって思うのは、
自由でいることが、依存しないし、
後からいなくなってもいいからそうしたのかなと。
だからパートナーと何か特定の関係性ですって名前を付けたくなかったのは
もしかしたらもうすでに終わりを想定していたからかもしれないって思った。
想像でしかないけど。

私は自由。
相手が求める言葉をかけるだとか、その関係性を保つために何かやってあげるとか、身体的な深いつながりを愛情表現だと思わなかった。

あなたのままでいること、お互い自由にしていることが私の愛だった。
言葉で伝えたけど伝わらなかった。

そして相手がこれからの話や、どんな関係だ〜みたいなするのが苦痛でしかなかった。

そんな未来の分からないこと話すの?
一緒にいないかもしれないのに、何話してるんだろう。

もう分かり合えないかもしれない。
どうしてもこの苦しみというか、嫌悪感というか、辛さかな?

これを感じたくなかった。だから切り離した。私はこの辛さから解放された。
意思表示して、一方的に離れた。

っていうエピソード。

もうなんかすごい思い出した。
すぐ離れようとする。
メンタルモデルに書いてあったけど、
この行為で私は相手を傷つけているのだろうか。

私は苦しみから解放されて、切り離したからもう無いものにしたいくらいに思ってるけど、

相手は切り離されたから傷ついてるかもしれない。私は相手が去っていっても別にってなるけど、傷つけたんかな。

でも分かり合えなかったら仕方ないって正当化してくる自分。あの状態でいても何が良かったんだよってなる。

ーー

そしてこの体験から、

私は(自分を表現しても)誰とも分かり合えないのでは無いか。
そして自分の愛は違うのか?という不信感。
やっぱり自分は誰かと生きるというのは無理なのか。


こんな思い込みを少し強くしてしまった。

これが出てくるってことは最近私は以下のことが強いのかな。


この誰とも分かり合えない、
1人だ、自立、依存は絶対に嫌
ちがう、不信感、何もできない

この全部の感情を切り離したい、感じたくない。

今は余裕もないから、余計にそう思うんだ。
まず自分自身と繋がれていないから、自分とも切り離してるから
誰とも繋がってない感覚がするんだ。

早く七月終わっておくれ〜


 

It is What it is.

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